時間は止まらない。人は年齢を重ね必ず死ぬという、現実を感じた。

人としての心得

こんにちは、はっせーです。

21年5月5日、義父が81歳で他界しました。
告別式の時に娘である嫁は離れて暮らした事も有ってか、隣でずっと泣いていた事が印象的でした。

義父は5年程前の1月3日に脳内出血で倒れ、片麻痺に。
それまでは自宅で元気に商売をしていましたが、それ以降店を開ける事は有りませんでした。
退院後は自宅に住み4点杖を付いて息子も手伝い歩行訓練をしていましたが、直ぐに歩けなくなり病院を転々とした後に特別養護施設に入所。

特養に入ると、足はみるみる細くなり認知症発症で進行。
母親と弟は近くに住んでいましたので、大変な苦労をした筈です。

告別式で棺桶に入っている義父と対面しました。
激痩せでまるで別人、顔を見て、えっ!と声が出てしまいました。
元気だった姿を知っているだけに、まさに急転直下です。

人は死を実感すると、思考や行動が変わるのかも知れない

義父の死と直面した時、以前の会社で55歳ほどの先輩が大手術により、生死を彷徨っていた事を思い出しました。
半年間の長期療養後、随分と痩せましたが仕事へ復帰。それからは人生観が変わったようです。
今までは遊びに無縁だった人が、毎年奥さんと海外旅行に行くようになりました。

併せて読みたい🔗

あと大学時代の3学年下の、2人の大きくなった子供がいる後輩女性と会う機会が有りました。
最近ダイビングのライセンスを取り、欲しかった外車も購入。聞くと乳がんで手術したからでした。

自分自身の死を実際に身近に感じ人は2人しか知りませんが、人は変わるものだと感じました。
病気にならなくとも年齢を重ねてくると、同じ感情を持つのかも知れないとも思いました。

死を感じた時、人の行動は変わると。
どうせ変わるなら、健常な時に変わった方が良いと思う次第、人生に悔いが残らないように。

自分自身に照らし合わせると、海外旅行に行くわけでもなく。良い車を乗り回しているわけでも無いです。

物欲だけでなく、行動までも抑えてないか?

興味ある事をする欲求を、どこまで抑えるのか。
この行動とは旅行で遊びに行くではなく、勉強や興味ある事へのチャレンジのこと。
大きな経費が掛かる購買や旅行は無理だとしても、たいして経費は掛からないが面倒や、どうせ無理・無駄だといった理由で行動を止めてませんか?

私はブログを書いてます。
正直どこまで意味があるのか、少しくらい稼げるのか、時間の無駄なのか?
判っていることは、私自身が筆を止めたらブログは終わり。
続ければ何かの成果に繋がるのか、など誰にも判りません。

しかし多くの成功者は成功するまで続けるから、失敗する訳ないとの名言も残しています。
途中で辞める理由は、〇〇は自分が何歳になってから、子供が大きくなってから、この仕事が片付いたら等、幾らでも出てきます。

`併せて読みたい🔗

判っておくべき事は、時間の経過とは年齢を重ねること。
年齢を重ねるという事は、今までの当たり前の生活が来年は出来ないかも知れないという事です。
勉強・遊び・飲食・ファッション・旅行など全てで残酷だと思います。

将来を考えると無駄な散財は出来ないし、老後の不安もあります。
大抵の人は漠然とした不安は持ってますが、必要経費を可視化・数値化し実情を把握することは大事。
毎月幾らの金額が必要なのか、余分な支出を抑え・所得を増やす(複数から得る)、資産運用も必要です。

漠然とした不安により、心が貧乏で何も出来ない・使えないでは人生が勿体ないです。
自分自身の心が満たされる投資(購入・経験)をする事が、人生の悔いを残さず次への活力へも繋がるプラスの投資だと思えます。

先輩・後輩の2人の実体験を記載しました。
病気は不運ですが、お金を自分の為に使うキッカケになっていました。
今も2人とも健在ですが、人は誰しもいつか死ぬ。
最期はお金を使う行為さえ出来ず、老人ホームの入居費用だけで他界ではつまらないです。

人生を逆算して、今出来ること・年をとると出来なくなること、いつなら出来るのか年齢分布で分けて考える。
有意義なお金の使い方とタイミングを計り、お互いに一度きりの人生を充実させましょう。