どん底からの復活、人の繋がりが持てた・繋げる事が出来たからこそです。

対人関係

脱サラで失敗し、出戻りサラリーマンをしている、はっせーです。

ですが、今も脱サラ時の仕事もしています。
当時、脱サラの仕事だけでは食べていけないのでサラリーマンに1年半後に復職しました。
オーバーに感じるかも知れませんが、地獄の思いでした。

収入が有っても自分の給与まで出ないという事は、今の家に住めなくなり安い物件への引っ越し(子供の転校問題)など、歯止めが利かず人生が転がり落ちるような恐怖です。

自営業だと売りが上がると即、自分の給与に反映します。ですが逆もしかり。
気持ちがポジティブになったり、ネガティブになったりと不安で寝れないし、体重は減り続け死ぬ事も本気で考えるようになりました。そうなります。

事業で1.000万円の軍資金を用意しました、半年で残金が500万と減った時。
コップの水の理論。
まだ500万有ると思うか、あと500万しか無いと思うのか?
あなたなら、どっちですか?

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事業の拡大には国家資格を持った人が必要でしたが、その資格者が募集しても来ないので人選出来ない(腕が悪くても雇うしかない)・店舗家賃・人件費が掛かる。
今後も継続しても投資した金額は回収出来ないと思い、僅か1年で撤退しました。
既に900万円は消失していました。

廃業の手続きを実施のさなか、当時雇っていた従業員がお客さん全てを持ち逃げ。
お客さんを他店舗への売却も検討したさなか、悪い事も続くものです。

どん底からの復活の始まり

廃業して2か月後、サラリーマンへ就職が決まったとき当時お世話になったY社長へ、報告で3ヶ月ぶりに連絡し昼ご飯を一緒しました。

Y社長より一言「前の仕事も、やったらええやん」と撤退した仕事でのお客さんを斡旋して頂きました。
別のS社長からは資格保有者を紹介して頂き、再就職の会社入社日と同時日に新店舗の開業届を税務署へ提出。

その後、Y社長とS社長を引き合わせ、同業種だが異なった事業をしていた事もあり、2つの仕事を仲介してビジネスとして動きだし、S社長とは私の店舗へ事業統合も実施している最中です。
想像していなかった展開、再脱サラにて独立出来る規模では無いですが、人生は判らないものです。

サラリーマンが脱サラで失敗すると、1年程でサラリーマンに復職する人は多いと聞きます。
または会社の正社員として就職出来ず、給与の安い職場へ転落する人も多い中、Y社長・S社長の両方より私は珍しいケースだと言われます。

何故、私は落ちる所まで落ちずに済んだのか?
幾つかの偶然も出会いもあったのは事実、大抵のストーリーには偶然があると思います。

1つ目は人との繋がりで、前述したY・S社長の2名との出逢い。
2つは致命傷を負うまで継続せず、すぐに逃げた事。これには賛否両論も出そうですが。

Y社長は年上で話も合い、周りの従業員に私と一緒に何か新しい事業をするんやと話され、気に入られていました。
S社長は年下。フランチャイズでしたので他の近隣5店舗のオーナーも皆知っていましたが、誰もS社長には近寄って来なかった感じがします。プライドが邪魔してたからなのか、遠慮なのか。
私とは前職の話もしたりと、信頼関係は少なからず他の人より得ていたと思います。

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他の方が仕事に真剣でなかったとは言いませんが、相対的に私が人間関係で近づけたのかも知れません。
近づけたというより、私が2人に近寄ったという方が正しいです。
何かのチャンスや仕事のキッカケがあると感じていたから。

一言でいうと相手に対し、興味を持つ・興味を示した度合いが強かったという事でしょうか。
それが人間関係構築へと繋がり、今の私があると思います。

自営業は致命傷を負うまで、深追いしない

私と同時期に始めたフランチャイズオーナーの1人は、私が辞めると言った時にまだ儲けが出ていないので、国民金融公庫から追加融資をお願いすると電話で話していました。
私の店舗より売り上げが少なかったにも関わらず。

お金を借りるとは返す必要があり、辞めた方がよいと忠告しましたが数百万円の追加融資依頼にて閉店を回避。
ですが、1年ほど後に資金ショートで廃業。
当時40代後半のオーナー。借金だけが増えた筈、その後は連絡が途絶え消息不明。

退職金を元手に開業した60歳前の方の1人は自己破産。もう一人は会社員へ復職。
50歳前半の方は前職で元部長職と聞いていましたが、廃業し正社員へ復職出来ず、送迎車の運転手をしています。

開業した以上、やりきる気概は大事です。が自営業は生死が表裏一体。失敗は命取り。
当たって砕けろ!は自己破産も見てきました。
私の経験より勇気ある撤退、すなわち力を温存した失敗も有効な手段だと思います。
この意見には、賛否があると思いますが。